Moleculeプロフィール: John Beech
今回スポットを当てるのは、車掌? それともクリエイティブディレクター? その両方にしてBeechCorpのCEO、John Beechです。彼は仮想の列車の車掌という役割をとても重く受け止めています。今回は元建築業者としてのキャリア、第二次世界大戦の戦車への愛、そして『リトルビッグプラネット』の"ボスの男"であることについてお話を伺います。それでは、Moleculeプロフィールの最新回をお楽しみください!
よろしく、John! Media Moleculeではどんな仕事をしていますか?
私はMedia Moleculeでクリエイティブディレクターをしていて、現在は『Tren』の製作チームのリーダーをしています。『Tren』はDreams Universe™のリリース直後に個人的なプロジェクトとして着手した、列車がテーマの小さなゲームですが、その後、Mm オリジナル作品としてMmの大規模チームで手掛けることになりました。現在は精鋭ぞろいのチームで『Tren』の仕上げに取り掛かっています。とてもワクワクしますよ!
個人的に取り組んでいた『Tren』が、どのようにしてMmに採用されることになったのでしょうか?
『Tren』は、Dreams Universe™内の小さなプロジェクトが大規模なものになる過程をはっきりと形にすることに貢献した、最初のゲームのひとつかもしれません。ですがMmには、実験のためにおかしくて楽しいものを作るゲームジャムという文化がいつもあるんです。『Tren』は元々個人的なプロジェクトで、空き時間に作っていたものでした。はじめは職場で金曜日に開催されているゲームジャムの時間に作っていたんですが、家に持ち帰り、そのあとも空いた時間に作り続けていたんです。
ある時、私が興奮して作品を披露していたら、Mmの経営陣が近づいてきて、"John、とてもいい作品だね。すごくクールだよ。この作品にフルタイムで本格的に取り組んでみる気はあるかい?"と聞かれたんです。この頃には、自分の中で完全にアイデアが固まってきていたので、このチャンスに飛びついてプロジェクトに情熱を傾けることにしたのです。それ以来、みんなで個人的なプロジェクトから本格的なMm認証プロジェクトへ移行するということがどんな意味を持つのかを模索してきました。たくさんの人を巻き込むこと、ゴールをどこにするか、何をゴーサインとするか、マイルストーンをどう設定するかなど、制作にまつわるあらゆることを検討し、実現させようと取り組んできました。『Tren』への思いという小さな種を中心に、とても大きなチームとしての取り組みへと発展してきたんです。
『Tren』には、木製の列車や線路のパーツなど、子供の頃のおもちゃ箱を思わせる魅力的なスタイルがあります。ゲームを創作する際には、ご自身の小さいころの経験を生かすことが多いですか?
そうですね。特に『Tren』は、私の世界の見方をゲームにし、創造力のひらめきがいかに素晴らしいものであるかを示すものです。何をデザインするにしても、自分の実体験から直接呼び起こすのですから、リアルな感覚がなくてはいけません。『Tren』の場合は、私が子供の頃おもちゃの列車で遊ぶのが好きだったことが原点にあります。その懐かしい感覚を、列車が好きな人に楽しんでもらえるゲームで表現したいと考えました。『Tren』にはメタ的な物語性もあり、それは私が幼い頃、父がおもちゃの列車のセットをたくさん作ってくれたことに大きく関係しています。それが父との絆を深めることにもなりました。父は仕事から帰ってくると小さなおもちゃの列車を作り始め、私はいつもそばでその様子を見て、父がやっていることについて学んだり親しんだりしていました。
今は私にも子供がいて、逆の立場の視点がわかるようになりました。娘のBettyは私とずっと一緒に遊んでいたがるのですが、私には仕事があり、仕事中はおもちゃの列車で一緒に遊ぶわけにいかないことをちゃんと理解できていません。その経験が、子供と親という2つの世界の見方を与えてくれました。私にとって、『Tren』はそうした親子のつながりを表現するものであり、プレイする人の心に響く、子供だけでなく大人にもアピールできるものになればいいと願っています。だからこそ、このようなアプローチでリアルに感じられることが大切なわけです。
あなたがお父さまの作った木製の列車で遊んでいたのと同じように、娘さんにもいずれは『Tren』で遊んでもらいたいですか?
もちろんです。何が一番よかったって、私は「研究」目的でたくさんのおもちゃの列車を購入してきました。Bettyはそれで遊びますし、ときどき私もリビングで一緒に列車のセットを作ったりします。実は、それが『Tren』の開発にとても役立っているんです。つまり、リビングに敷いた線路を見て、それを『Tren』に結びつけられるということです。この2年間で自宅を少しずつ改装してきたのですが、『Tren』の世界の中で私が作った環境は私の家をベースにしていることが多く、それは偶然にも『Tren』に取り組んできた期間と重なります。周りを見渡すと文字どおりレンガの壁があったり、すべてが野ざらしだったり、石膏ボードのかけらがあったりしたわけです。ですから、混沌とした家のリフォームスタイルを『Tren』で活かすのはとても簡単でした。もちろんBettyにも遊んでもらいたいですね。
もともとレベルデザインに携わっていたのですか?
ずっとデザイナーで、最初はレベルデザイナーをやっていました。ですが、実はそれより前にデヴォンで11年間建築業者をしていましたので、壁、プール、しっくい、キッチン、窓、縁石など、あらゆるものの作り方を何年も学んでいた時期がありました。そんなとき、『リトルビッグプラネット』が発売されて衝撃を受けたんです! で、そのゲームのコミュニティ内でいろいろなものを作っていたら、Mmに声をかけられたというわけです。その週のうちに建築業をやめてMmのレベルデザイナーになり、かれこれ14年近くが経ちます。言ってみれば、現実世界でのものづくりを止めてデジタルでものづくりをするようになったというわけですね。最初の仕事は『リトルビッグプラネット1』のDLCで、『リトルビッグプラネット2』ではメインのレベルデザイナーの1人として携わり、その後『Tearaway』にも参加しました。そして、Dreams Universe™には立ち上げの頃から携わっています。
では、ゲームデザインの正式な教育のようなものは受けていないのですか?
そのとおりです。ちゃんと学んだことはありません。実際、若いころは偏頭痛に悩まされて、学校も休みがちでした。自慢ではありませんが、学業は優秀だったものの、あまりに学校を休んでいたために学位認定の試験すら受けさせてもらえませんでした。だから書類のうえでは大した資格もないのですが、目標を達成し、優れたレベルデザイナーとなるうえで、そんなことはまったく問題になりませんでした。その代わりに他の素晴らしいレベルデザイナーやアーティスト、そしてMmや他のゲーム会社の優秀な皆さんと一緒に仕事をすることで、自分のスキルを磨いて本当に多くを学ぶことができたんです。
Media Moleculeで携わった仕事の中で、印象に残っているものはなんですか?
もちろんDreams Universe™には大きな誇りを持っていますし、初期はブロブエディターと呼ばれていたこの作品に、初めてスカルプティングを追加したときのことも覚えています。発売されたばかりのPlayStation®Move モーションコントローラーは、普通のゲーム開発者とは違う私にとっては、とても簡単に理解できたんです。機能についての先入観がなかったので、プログラマーにしかできないと思っていたモデリングをすぐに始めました。当初、Mmのアーティストたちは皆、頂点エディター、スライダーや技術的なものに慣れていたので、難しいと感じていたようです。ですから、Dreams Universe™で大量のスカルプトを行い、初期からテクニックを発見した最初の人間になったことは、私にとっては達成感が高かったです。
もうひとつ自慢できるのは、『リトルビッグプラネット2』のボスを作ったことです。というのも、どういうわけか、『リトルビッグプラネット2』のボスは私が担当することになったんです。すべてのボスを作ったわけではありませんが、大半は間違いなく私が作りました。特に気に入っているボスは、「チキンレース」というステージに登場するコペルニクスです。巨大なニワトリのロボットで、ひたすら追いかけてきて、すべてを破壊してしまいます。これはLBP1で花嫁が大きなブルドーザーで追いかけてくるシーンからヒントを得たもので、そのニワトリ版を作りたかったんです。でも、私はメカが好きなので、午前1時にエナジードリンクを飲んで徹夜して、ロボチキンを作りました。木曜日の夜から金曜日にかけて、夢中になって、目もかすんでいました。
金曜日にはフライデー・フィーチャーといって、自分たちのアイデアを披露する場がありました。本当に疲れるとビートボックスをする癖があるんですが、その片隅でひどい顔で下手なビートボックスをする私を見て、みんな私が疲れ切っていることを知っていたのです。プレイ中、ステージが終わったかのように見せかけるシーンがあります。元になったLBP1のステージのように、コペルニクスが溶岩に落ちていくんですが、進んだ先にスコアボードがあるんです。でもそのスコアボードは偽物で、本物そっくりに作ったんです。ある人が突然"すごくいいんだけど、ちょっと短いね"と言ったその瞬間、溶岩からコペルニクスが上がってきて、また追いかけ始めました。そのタイミングが絶妙で、50人の観客が一斉に声を上げたんです。炎に包まれた巨大なロボットチキンが地面から飛び出すのを見て、後ろに倒れそうになっていました。その瞬間はとても誇らしかったです。
これからゲームデザインの世界に入ろうとする人たちに、何かアドバイスや指針はありますか?
私がこの仕事に就けたのは、当時のMmに関連するもの、つまりみんなが楽しんでくれるLBPのステージをたくさん作った経験があったから。彼らに直接見せられるものがあったんです。ゲームデザインの学位がなくても、ステージを見せただけで"この人にはポテンシャルがある、いいものを作れるだろう"とMmは思ってくれました。それがこの仕事を得るに至った、最も大きなきっかけでした。だからアドバイスとしては、自分がやろうとしていることに関連した作品の例を見せることですね。
エントリーシートや履歴書、ポートフォリオにはたくさんの言葉やフワフワしたことがよく書かれてあり、その人の雰囲気をつかむにはちょうどいいですが、私が本当に求めるのは、ちょっとした自作のフラッシュゲームやモバイルゲームなどへのURLリンクなんです。それがあれば言葉以上の情報を得られます。百聞は一見に如かずと言いますが、ゲームでも同じです。ゲームデザイナーになる方法はたくさんあるけど、私が若いころはコーディングが必要で、数学の知識が必須でした。でも今は、無料で手に入る素晴らしいツールがたくさんあります。ゲームデザインのコースはとても有意義で、私も受講する価値はあると思います。でも変わった方法でこの業界に入れば、変わったスキルが身につくと思うし、それが一味違ったものを作りたい作品やスタジオにとってプラスになることもあるんです。
Media Moleculeのスタッフはデスクにいろんなものを置いていますね。今、デスクには何を置いていますか?
普段は会社の机にとんでもない量のレゴを置いていますが、今年初めにスタジオを改装したので片づけました。とはいえ私の家も改装中なのであまり場所がなく、ほとんどは倉庫にしまってありますが、自分でデザインして作ったイギリスのコンケラー戦車は今も手元に置いています。冷戦時代、第二次世界大戦末期の戦車です。私はイギリスの戦車、特に第二次世界大戦時の戦車が大好きで、ほとんどレゴで再現しています。普段は大量のレゴが置いてあって、これについてひとつエピソードがあるんですよ。
私たちがオフィスにいた数年前、小島秀夫さんがインスピレーションを得るためにさまざまなプレイステーションのスタジオを見学していたんです。ご自身のスタジオを立ち上げて『Death Stranding』を作る前のことですね。彼はMedia Moleculeにもやってきて、私の机が上から下までレゴで埋め尽くされているのを見た途端立ち止まり、振り返って私を見ると、日本語で興奮気味に何かを叫びました。もちろん私は日本語を理解できませんが、彼はレゴに向かって身振り手振りを交えて話していて、その興奮を察することができました。彼が話し終わると、通訳は"小島さんは、あなたのレゴが本当に好きだそうです"と言い、彼は私に親指を2本立てて立ち去りました。私はただ呆然と立ち尽くしていました。小島さんのことはみんな知っているし、私も大ファンだからです。とても有名な人なのに、私のレゴのデザインを褒めてくれて嬉しかったです。
最後に、Dreams Universe™ゲームのお気に入りやオススメしたいものがあれば教えてください。
素晴らしいものもありますが、私は一点物のスカルプトや、小型の珍しいものにワクワクすることが多いです。私も自分がしていることを見せるのに、そういう小型のものを使うのが好きなので、同じような人に感謝したいです。もちろん多くの方が活動していますが、今回はPrinz_LaserとJohn-berg1995を紹介したいです。お2人とも非常に正確な第二次世界大戦の戦車を作りますし、まさに自分の守備範囲です。
私がDreams Universe™でやりたいのは、きわめて正確な戦車を作ること。小さなネジや溶接、ボルト、汚れ、リベットに至るまで、すべて機能するようにすることです。彼らの作品を見ると、サスペンション関連や動作パーツがすべて機能しているので素晴らしいと思います。でも今はまず『Tren』を完成させないとですね?
『Tren』はDreams Universe™で今年中にリリース予定です。『Tren』が出発進行するタイミングは ソーシャルメディア(新しいタブで開く)から確認できますので、お見逃しなく。
Dreams Universe™のユーザーガイドはただいま作成中。これからプレイのヒントに関するコンテンツを増やしていく予定なのでチェックをお忘れなく!